2月14日 とくべつな日③

※2月14日バレンタインに1日限定公開していたお話です。

実際にはその前の更新から2ヶ月あいており、この間のツイートで阿澄が成長していたり、話の中にでてくるGに追われて逃げまくる(そしてしゃちょーのでかポケットに逃げ込む)くだりがツイートで行われていたのですが、お話だけまとめると時間の感覚が分かりにくいかもしれません。












 今日はねどこの中が、みょうにぬくぬくしてるな、とは思っていた。

 しゃちょーの腹のうえはいつもぬくぬくだけども。そうじゃなくて、たまにいれてもらえるおふろに入りびたりすぎたときみたいな、ちょっとあつくてもう出ようか、でももうすこし…って悩むぐらいの。…いや、やっぱりあつい。

 「………ん?」

 だんだん不快になってきた熱にしかたなく目をあける。

 そとはもう明るくなってきているようだ。めのまえには、すやすやねているしゃちょーの顔。なんだか近くないか? おかしいな、おれはきのうちゃんとしゃちょーの腹のうえにおさまって寝たはず…………。

 「……あ!」

 がばりとおきあがって自分のからだをかくにんする。やっぱり。おれはがくしゅうするねこだからすぐに分かる。

 「にんげんだ!!」





 +





 おれはくろねこの、今だけにんげんのあーちょん。しゃちょーとこの家でくらすねこ…今だけにんげん。

  「今だけにんげん」だったことは前にもあった。どういうわけか、ねこのときには思い出せないけど。


 腹のうえでさわいだにもかかわらず、しゃちょーは起きなかった。いつもならもう起きるじかんなのにめずらしい。おれもずっと寝てたい日があるから、起こさないようにそろそろとしゃちょーの上から降りてまずはせんめんじょにいく。たしかめたいことがある。さっき自分のからだをみて気になった。

 「やっぱり」

 かがみの前に立って、おれはかくしんした。前ににんげんになったときより、すこしおおきくなってる。


 着ているのはこの間とおなじしゃちょーのぶかぶかの服。前はちょっとせのびしてなんとか見えたかがみが、今日はふつうに立つだけでちゃんと見える。毛ものびて寝ぐせができていた。手でまっすぐになでつけてみたけど、なおらない。かっこわるい。

 前とちがうのはおおきさだけじゃない。黒いふわふわのくつした。はだしはさむいからって、「今だけにんげん」のときにしゃちょーにもらったもの。ねこはいつもはだしだけど、おれのうしろ足はとくべつにふわふわしている。

 「ふへ」

 ついうれしくて喉をならそうとしてまぬけな声がでる。にんげんの喉はならせないんだった。……しゃちょーに聞かれてなくてよかった。


  そうだ、しゃちょー。



 ベッドに戻るとしゃちょーはまだ寝ていた。こんなことははじめてだ。毎日きまったじかんに起きるのに。

 おれはいつもみたいにしゃちょーのうえに乗ると、たしたしと腹をたたいてみる。反応はない。それからしゃちょーが、あつい。…あつい?

 「…?」

 ぺたぺたあっちこっちしゃちょーのからだを触ると、どこもかしこも同じようにあつかった。そういえばあつくて目が覚めたんだった。しゃちょーがぽかぽかしてるのか。

 「おーいしゃちょー…しゃちょ……らん…らんふぁん…?」

 ちゃんと聞こえるように耳元ではなしかけてみる。

 「らんふぁん……こんなにあついのは……おれにないしょでひとりでこっそり…おふろにはいったのか…?」

 ……起きない。おれもまいにちあったかいおふろに入りたいのに、しゃちょーは時々しかゆるしてくれない。おれがいつも追いかけるからひとりでこっそり入ったのかとおもったけど、ちがうのか?


 耳元でごにょごにょはなしかけていると、すこしだけしゃちょーがうなって身じろいだ。なんだかくるしそうだ。よくみると汗もかいている。

 ぺろりといつもの癖でなめると、思っていたよりしゃちょーのほっぺたがあつい。しょっぱいし、ふうふうと息もたいへんそうだ。


 これは、うなされているというやつ?



 「………びょうき?」

 ぐあいがわるいのなら全部あてはまる。あっちこっちあつくて、汗がでてげんきがない。いつも起きてまっさきにおれのことさがすのに、ぜんぜんおれを見ない。


 こまった。

 おれはにんげん三かいめにして、にんげんのかんびょーをしないといけない。





 +




 とりあえずしゃちょーの上のふとんをめくっておく。足のほうにどけておいた。あつくてつらそうだから、よく冷えますように。


 まずは水だ。しゃちょーはいつもおれに水をのめって言うから、水はだいじなはず。あついからだを冷ますのにもきっとちょうどいい。

 ベッドからおりて、自分の水のはいったいれものをとりにいく。しゃちょーの水皿は台所のたかいところにあって、いまのおれには手がとどかないし、水もだせない。おれの水はねこがのみやすいように薄っぺらい皿だからちょっと少ないけど、ないよりいいはずだ。


 こぼさないようにベッドまでもどってくると、おれはゆびにちょいちょいと水をつけてしゃちょーの口のうえに数滴たらした。

 「みず…おいしいみずだぞ…」

 なるべくやさしいかんじの声で水をあげる。しゃちょーがよく庭の木に水をやるときに話しかけてるから、それのまね。


 なんどかそうして口元に水をたらしてみたけどポタポタだとなかなかのまない。まだるっこしい。皿ごと口にもっていってながしこむ。もっとのめ。とつぜんげほっげほっとしゃちょーが声をだした。起きてはいないようだけど、ごぼって音がした。水がちゃんと喉にはいった音だろう。これで水はよし。




 つぎはご飯。これは台所にいかないと手にはいらない。

 さいしょは、ちゅーるを食べさせようと思った。けどそれはむずかしい。ちゅーるはおれが取れないところにしまわれているのだ。それに、しゃちょーがたべてるのを見たことがない。いつもおれにくれるってことは、しゃちょーは好きじゃないのかも。

 じゃあしゃちょーが食べてるもの…と思ったけど、これもむずかしい。おれはしゃちょーのようにご飯をつくれない。台所でなにかするとできあがるのはいつも見てるけど、やり方が分からない。

 「うーん…」

 れいぞーこをあける。こいつはヒヤッとするからあんまり近寄りたくないけど、ここにご飯のもとがはいってるのだ。しゃちょーはいつもこのなかにご飯をしまう。

 「ん?」

 開けてすぐめのまえに、ちいさな箱があった。みおぼえがある。


 『これは阿澄は食べられないんだ、ごめんね』


 きのう、そういってしゃちょーがれいぞーこにしまった箱だ。

 おれはだめっていうのが気になる。おれはしゃちょーのご飯をよこどりするようなどろぼうねこじゃないから、にんげんのご飯なんかきょうみないけど…どうしてだめなんだろう。


 れいぞーこから箱をとりだす。両手におさまるぐらいの大きさだ。てきとうに振ってみるけど箱はあかない。カタカタと音がする。よくみると横のところで、あかないように何かでとめられている。はりつけられたそれはねこの手ではあけられないけど、おれは今にんげんだ。

 「…?」


 しばらくかかってやっとあいた箱のふたをはずすと、まるくてちゃいろい玉が四つ。ちょっとテカテカしていて、ゆびでつまめそうな大きさだ。しゃちょーのご飯にこんなのあったっけか…?

 「おれはだめで…ちゃいろの…テカテカ………………っウワーーーッッッ⁉」


 あわててふたをしめる。きづいてしまった。これの正体。



 すこしまえ、へやのすみっこで見たことのないちゃいろいむしを見つけた。あたらしいエモノだと思って追いかけると、そいつはカサカサとすばしっこい。しばらくばたばたしてやっと追いつめてつかまえようとしたら、そいつは急にテカテカのはねをだしてとびかかってきたのだ! ちょうどめのまえにあるような、こんな色のテカテカ!

 そいつはおれの顔めがけてとんできたから、しゃちょーのところにいそいで走っていって家から追いだしてもらった…と思ってたのに…まさか……こんなすがたに……………。

 「…おれはだめだ。おれはちゃいろいやつはたべられない」

 そういえば箱をふったときにカタカタ音がした。いきがいいのかもしれない。新鮮なほうが栄養があるかも。あんなやつでも食べさせたらしゃちょーは元気になるのだろうか…。


 「おれはだめだけど…しゃちょーは食べられるなら…」


 もういちどそうっと箱をあける。ちゃいろい玉が四つ、さっきみたのと同じようにきれいにならんでいる。この間おれにとびかかってきたときとは、ちょっとニオイがちがう気がする…あのむし、こんなにおいしそうなやつだったか?

 ひとつつまんで鼻をちかづけると、やっぱりいいニオイがする。

 かいだことのないニオイだ。ときどきしゃちょーがおやつにしようってくれるちゅーる、ほかほかで作りたてのやわらかいとりにく、しゃちょーの足からひっこぬいたばかりのくつした、じっと見てるとちょっとだよっておれに分けてくれるかつおぶし。おれのすきなニオイのどれともちがう。しゃちょーがたまによんでるふるい本に鼻先をつっこんだときのニオイがちかい。もっとふんわりしてて、かじってみたいと思うような。


 はっと気がつくとゆびがちゃいろでベタベタになっていた。つまんでるところがどろどろに溶けてきて小さくなっている。

 ――このままだとしゃちょーが食べるぶんがなくなる!

 あわててベッドにもどると、あいかわらず寝込んでるしゃちょーの口に、ちゃいろの玉をむりやりおしこんだ。ひとつじゃたりない気がしたのでぽいぽいと四つぜんぶつめこむ。途中でげほげほしてたので、口からとびださないようにちゃんと手でおさえておいた。


 からになった箱はちゃんともどしてくる。今頃しゃちょーの口のなかでじわじわとけてるはず。ゆびについたベタベタは、ちょっとなやんでからじぶんでなめた。

 …ちゃいろくてテカテカのあいつは、くやしいことにおいしい。




 それにしても、もう朝ごはんのじかんはとっくにすぎているのにしゃちょーはまだ目をさまさない。さっきよりむずかしそうなかおをして、時々げほげほしている。

 「…しんじゃうのか…?」

 腹のうえにまたがって、しゃちょーの胸にみみをくっつけてみる。どくどくきこえる音がいつもよりはやい。いつもはもっと、おれがすぐねむくなるような音だ。


 みみをくっつけたまま、両手をひろげてぎゅっとしゃちょーにしがみついた。しゃちょーのせなかの下に手をいれる。にんげんのおれは前よりおおきくなったから、手と手はとどかないけどぎゅってするぐらいはできるようになった。汗でびっしょりだ。体はほかほかとまだあつい。

 今は毛づくろいできれいにしてやれないから、代わりにしゃちょーがしてくれるみたいに撫でてやる。しめってて上手にできないけど、しゃちょーのむずかしい顔がちょっとやわらいだ気がした。


 腹がぐうとなる。朝ごはんたべてないからな。でもおれのご飯までさがしにいってたら、しゃちょーがずっとひとりっきりだ。

 「おれ、らんふぁんのねこだから、ちゃんとめんどうみてやるからな……」


 だから、はやく目をあけておはようって言いますように。









  +++



 ふわふわと熱に浮かされた夢心地の中で、誰かがずっと抱きしめて撫でてくれているようだった。まるで遠い昔に亡くなった母が、幼い頃にそうしてくれたように。こんな風に誰かの腕に包まれるのはいつぶりだろうか。

 「……?」

 奇妙な違和感に、藍渙の意識はふわりと現実へと浮かび上がった。朝だ…朝? それにしては明るすぎる。そして口の中がどろりと甘ったるい。…何故かチョコレートの味がする。

 何、と唾液を飲み込んで今度は喉の激痛に顔を顰めた。頭や身体の節々も痛い。寒気もするし、口の中だけではなくどこもかしこも汗でベタベタだ。


 覚醒するやいなや、己の置かれた状況が分からず藍渙の頭の中は大混乱だった。

 起き上がろうとして布団が足元へ追いやられていることに気付く。

 そして自分の胸元にはおかしな格好でへばりついている黒猫が一匹。

 「阿澄…?」

 潰れた声で名前を呼ぶ。寝ているようだ。小さな耳がわずかにふるふると動く。彼はいつも丸くなって暖をとってるのに、こんな風にしがみついているのは珍しい。

 阿澄を抱えながら痛む身体を起こすと、藍渙はまず時間を確認した。驚いたことに昼前まで寝込んでいたようだ。――会社が休みで助かった。

 空いているほうの手で顔を触るとじわりと熱い。これは完全に風邪を引いたのだろう。こんなことは子供の頃以来だった。この惨状はよく分からないが、熱に浮かされて布団を蹴飛ばしたり、寝惚けてつまみ食いでもしたのだろうか。どちらも自分の所業とは思えない事態なのだが。

 もう一度ごくりと飲み込むと再びズキンと喉が痛んだ。甘くてどろっとした唾液が少しだけ優しく感じる。


 「しまった、ご飯」


 阿澄に朝食をあげていない。片腕で抱いたまま、慌ててベッドから降りて台所へ向かう。ばたばたとしているにも関わらず阿澄は腕の中で相変わらず藍渙の服にしがみついたまま寝こけている。



 かつて拾った時を思えば、随分と体重が増えたものだ。もう二キロ近くあるだろう。あの時は手のひらの中でこのまま死んでしまうのかもしれないと思ったのだ。

 「……大きくなったなあ」

 この夜着のポケットは最近の阿澄には少し窮屈で、もうしばらくで卒業かなと覚悟している。そうしたらもっと大きなポケットのついた服を買ってみようか。入ってきてくれるかどうかは、阿澄の気分次第だけども。小さなこたつ、一つ余分な風呂桶、増えた調理器具にこれまで買ったことのないような服。自分ではない誰かの生きる足跡が一日ごとにこの家の中に増えていく。


 阿澄を落とさないように器用に抱えながらウェットフードのパウチを一つあけ、冷蔵庫から出した阿澄用の鰹節の出汁を電子レンジで軽く温めるとそれらを混ぜた。特有の魚臭さがむわ、と広がる。この匂いにも慣れたものだ。

 「…あれ?」

 シンクの脇に小箱が転がっている。昨晩、冷蔵庫に綺麗にしまったはずのそれが乱雑に置かれていた。会社で貰ったチョコレートの箱だ。シールが破れて開封されている。手にとってみると中身は――空っぽだ。一粒もない。

 口の中いっぱいにチョコレートの味がしたのはこれか。やはり寝惚けて自分で食べたのだろうか、行儀が悪いなと首をかしげていると食事の匂いで起きたのか阿澄が半目でぼんやりとこちらを見ていた。


 ――――まあ、いいか。おかげで喉の痛みもやわらいでいるし。

 「遅くなってごめんね」

 顔を見ながら声をかけると、阿澄はがらがらに潰れた聞き慣れぬ声にぱちくりと目を開いてかたまる。

 やがて声の主を確かめるようにしばらく見つめると、おもむろに腕の中でぬっと伸び上がりべろりと頬をひと舐めして、満足したように藍渙の肩口にぺたりと顎を乗せた。朝食が遅れたのでご機嫌斜めの肉球がとんでくるかと思いきや、再び目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らしはじめる。



 日はすっかり高くなって、窓の外には薄水色の澄んだ空が広がっている。日当たりがよいせいか、庭のクチナシの実も鮮やかな橙色を披露しているようだ。今日は一日ゆっくり養生するので庭の手入れは勘弁してもらおう。どうやら、腕の中の彼も一緒に付き添っていてくれるようだし。

 朝寝坊をしたのは生まれて初めてだけれど、こんなものならたまにはいいかもしれない。


 「おはよう、阿澄」

 かすれた声に甘ったるいカカオの香りをのせて挨拶をする。つられたようにいつになく甘えた声で黒猫はみゃあと鳴いた。ようやく、一日がはじまる。



あしあとふたつ

@1008findyouと@1105remindyouで掲載していたツイートと小説をまとめました。