カレイをたくさん貰った。
ちょっとそこで捕れた、とでも言うような軽い調子で聶明玦はジップロックに入れられたカレイを持ってきた。「用があって捕りに行ったら、思いの外たくさん釣れた」と。
畜産を生業とするこの先輩に海釣りの趣味があったとは初耳だと訝しげな目線を送ると、眉間の皺を深くしながらアイツが魚好きなんだ、と一言言い放つ。なるほど、懐桑君。
それ以上は何も答える気がないようにジップロックを藍渙に渡すと、用事は終わったとばかりに帰っていった。確かに以前もらったフードの数々を思い出してみると、聶家のあの猫はグルメな子なのかもしれない。
中を覗くと綺麗に捌かれた白身魚の切り身がラップにくるまれていくつか入っている。あの先輩は外見や飾り気のない性格に反して、意外とこういうところがマメだ。
二つほど取り出し、ジップロックの口を閉じて残りを冷凍庫へしまう。ラップを開けると現れたのは美しい乳白色の引き締まった白身。せっかくいただいたものなので、獲れたてをすぐに調理することにする。
「おっと、危ないよ」
阿澄は聶明玦が帰ったあとから藍渙の足元をしきりにうろついていた。そろそろ食事の時間なので、きっとこれは自分のご飯だと勘付いているのだろう。
初めて阿澄と出会った日、マグロ味のフードは不評だった。あの頃とはだいぶ関係が変わって成長した。ハロウィンにはおずおずと藍渙が作ったかぼちゃのペーストを食べていた。阿澄にあれこれ一緒に食べられる食事を作ってみるのは、今や藍渙の楽しみの一つだ。
鍋に水と昆布を入れて火にかけながら、白身に骨が残っていないか念入りに確認する。ぷりっとした乳白色が今か今かと湯煎を待っている。ぽこぽこと鍋が音を立てたら、切り身を一つだけ中に放り込み、一〇分ほど待つ間に冷蔵庫にあった白菜のやわらかい葉の部分だけを少し刻んだ。同じく鍋に入れると数分もしないうちにくたくたに縮んでいく。火が通って乳白色を深めた切り身に、淡い黄緑色が散る。網杓子でそれらを回収すると一度火をとめ、白身を鍋から引き上げた。
湯上がりのそれを菜箸で軽く押す。白身はほろりと簡単にくずれ、ふっくらとした身に思わず頬が緩んでしまう。筋にそってほぐれた身をスプーンの背で更に小さくなるようにつぶすと粗いペーストになっていく。くたくたの白菜と和えて大匙一杯分をいつもの阿澄の豆皿へ。鍋の中の出汁を掬って上からたっぷりかければ完成だ。
普段与えているウェットフードのパックを開け、少し味が混ざるように豆皿に加えた。慣れないものは嫌がるので、食べ慣れたものと一緒にしたほうが食いつきがいい。ささみ味とカレイでは少々統一感に欠けるが、白菜の彩りもあっていつもより豪勢な見栄えだ。
まだ鍋に入れていない切り身には塩を振って軽く揉む。流水で適当に流すと血合いが薄くなった。本当は切れ込みを入れてたまり水で流すのが正しい下処理だが、藍渙はそういったことには大雑把だった。先程と同じようにざっくりと切り身と白菜を鍋に放り込んで、ついでに冷蔵庫に残っていた木綿豆腐を適当な大きさに切って鍋に無造作に入れると蓋をした。
もっと具をふんだんに入れてカレイの餡かけにでもできれば、四十路の独身男としてはよく出来た自炊なのだろうが、藍渙にはそこまでの料理の裁量はなかった。ふつふつと揺れる豆腐を眺めながら、今度は湯葉にしても良いかもしれないとぼんやり考える。
出来上がったカレイの出汁煮を試しに一口食べてみると、予想通りの薄味だった。けれど身はほろほろと柔らかく、淡白な味の中にほんのりと甘みがある。自分の皿によそうとポン酢を少しかけてもう一口。――――白菜の甘さも合わさってちょうどいい。雑に作った割には良い一品になった。
阿澄は先程から催促するように藍渙の足元にしがみついて鼻先を何度も押し付けている。存分に待たされたおかげで空腹も限界だ、きっと美味しく食べてくれることだろう。誰かのために作る食事とは心が浮き立つものだ。
「さて、気に入ってくれるかな」
待ちきれない黒猫がはやく、と鳴いた。
今日も、幸福な食卓はすぐそこにある。
あしあとふたつ
@1008findyouと@1105remindyouで掲載していたツイートと小説をまとめました。
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