小話

  阿澄の夜這い(?)事件から1週間。少しずつ近づいてくるようになった彼について、分かってきたことがある。


 藍渙が意識を向けているときは、絶対に相手をしてくれない。

 名前を呼ぶと振り向いたりもするので、自分が阿澄だということは分かってきたようだったが、おもちゃを振ってもそっぽを向いて近寄ってはこない。食事は警戒しないようになった。阿澄専用となった蓮の豆皿を置くとすっ飛んできて顔をつっこみ、空になってもいつまでも舐め続けている。

 あれから毎晩寝る前に「おいで」と布団をめくって、ベッドの一番居心地のよさそうな真ん中に誘っているが、これは連日ふられ続けている。電気を消したあとも段ボール箱で、藍渙に背中を向けて静かにしていることが多い。

 ところが、朝になると藍渙の足先の間で丸くなって寝ているのだ。そして藍渙が起きたことに気付くとするりとベッドから出ていき隣の部屋に行ってしまう。藍渙がいないところでいつの間にかおもちゃを咥えてひとりで遊んでいる。


 会社でもそうだ。日中は部屋の隅で気ままにひとりで遊んでいるが、藍渙が仕事に集中していたり誰かと電話をしていると、こっそりデスクの下に潜ってきて寝そべっている。声をかけるとサッといなくなるので黙っていることにした。

 何回かそんなことが続くと、近寄ってきたときには尻尾や後ろ足など必ず体の一部をほんの少し藍渙の足にくっつけてくることに気付いた。本当は甘えたいのだろうか。

 阿澄に気がついてないフリをしてちょいちょいと足の先を動かすとじゃれついてくる。いつまでもそうしているので、この遊びが好きなようだった。ああ幸せだなあ、と書類にサインをしながら昼下がりのひとときを噛み締めるのが最近の楽しみだ。




 「…つまり?」

 「照れ屋なだけで本当は甘えたがりなのかなって。可愛いだろう?」

 「はあ…」

 返事のようなため息をついて金光瑤は件の黒猫を見た。


 大学時代から付き合いのある先輩が最近ペットに入れ込んでると聞いたので、近況を聞くついでにと藍渙のオフィスに寄ってみればこんな調子だ。自分の執務室にまで連れ込んでいるとは。黒猫は遠くの方からジッ…とこちらを見ている。警戒心があるのはいいことだがペットとしては愛嬌がない。

 一方にこにこと機嫌が良さそうな藍渙はいつにもまして輝いている。顔良し、性格良し、社長、と非の打ちどころがないステータスを背負った男は、いまや黒猫のことしか見えていない。

 「阿澄という名前も我ながらぴったりだなと」

 「…先輩がその調子だと啓仁先生が胃を痛める姿が浮かぶようです」

 「ああ………来月の件か…」

 三十半ばも過ぎていまだ結婚する気のない藍渙を案じて、藍渙の叔父は折に触れて縁談を持ってきた。そのたび何かと理由をつけて断るのでしびれを切らし、仲の良い金光瑶を仲介人としてこぎつけたのが来月の見合いだ。金光瑶としては結婚など本人の好きにしたらいいと考えていたが、恩師の頼みでは断れない。藍渙も懇意にしている後輩の顔は潰せないので、形だけは参加しようと了承したのだった。


 しかしこの様子では当面婚活に精を出すとは思えない。顔良し、性格良し、社長。けれどもアラフォー、一人暮らし、入れ込んだ猫。ものは言いようだ。

 「ご挨拶はさせていただくけど、わたしにその気はないから先方に失礼ではないかな」

 「顔も合わせずにお断りするよりはマシと思いますが」

 「見合いの日、阿澄はひとりで留守番できるだろうか…」

 猫の心配より自分のことを、と思わないでもないが、この人にとって結婚などその程度のことなのだろう。あの黒猫がある日突然美女にでも化けて出てきたら案外あっさり結婚するのかもしれないが。己の馬鹿げた妄想に金光瑶は可笑しくなって口元をゆるめた。


 他人の人生にとって何が大切かなんて分からない。父と母と子が揃うことが幸せな家族とは限らない。結婚をしても不幸せな者はいるし、しなくても幸せな者もいた。家を継ぐ長子という事情はあっても、自分にとって最良と思う道を選んでほしいと望む程度には、金光瑶は藍渙という男を尊重している。

 何に対しても等しく心をくばる博愛主義者だと思っていた先輩が、珍しくたったひとつを選んで愛を傾けた先がペットだというのなら、その選択を見守ってもいいかなと思った。


 そういえば阿愫も猫好きだったなと妻のことを思い浮かべながら、金光瑶は相変わらず部屋の隅から出てこない黒猫をもう一度見た。…やはりペットとしては、目つきが悪い。それがこんな特上の男を夢中にさせているのだから、罪な生き物だ。

あしあとふたつ

@1008findyouと@1105remindyouで掲載していたツイートと小説をまとめました。